キラキラ。
キラキラ。
まぁるい月がこちらを見ている。
闇の中でも煌くその髪の持ち主は、静かに道に横たわった。
瞬間感じた痛み。そこは今も熱を持って、ドクドクと。
ドクドク。
ドクドク。
男は笑っていた。 静かに、そして穏やかに。
途切れそうになる意識のどこかで声がする。
―――ココデコロサナクテハ。
世界が、真っ白になった。
† 薔薇が蒼いその理由は 第五話 †
今宵の月は明るい。燭台を灯さなくてもそれだけで十分だった。
その中で、ファイはたった今男から貰った薔薇をくるくると指先で弄んでいた。今夜のファイの服装はいつもと違って男装だ。胸元を広く開けた白のブラウスに、薄く伸ばしたかのような淡い緑色のキュロット。髪も整える事無く無造作に垂らしている。そこにはいつものふわりと揺れる長い髪は見えず、その姿はどう見ても男だ。現に今も窓際に腰掛け、だらしなく片足をそこに載せている。
そんなファイ見、男は口を開いた。
「お前はサクラ姫の兄、か?」
無言はイエス。
弄んでいた手を止め、ファイはその紅を見つめた。
「―――そうだ、と言ったら?」
「数年前、ユウコ夫人の遠縁にあたる将軍の元に一人の少年が預けられていたらしい。金色の髪に宝石のような蒼い瞳を持つ、それはそれは美しい少年だったそうだ」
「うわすごい、よくそこまで調べたね。さすが宰相殿ー」
あははバレちゃったねーとファイは言う。
そして窓際から飛び降りると男に一歩近づいた。自分よりも頭一つ分上にある顔を見つめ、
「ついでにイイコト教えてあげようかー」
「何だ」
「本物のサクラ姫の居場所」
「どこにいる」
「天国」
綺麗な笑みを作りファイは言った。
その答えにさすがの男も驚いたのだろう、紅い目を開く。それを見、ファイは一つ笑った。
「毒は日本国でしか取れない樹木の根なんだってさ」
「……」
その言葉だけで、男はどうやらサクラが他の者、少なくともこの日本国の者によって殺害されたという事を悟ったようだ。
そんな男にもファイは笑う。
「安心して。オレはあなたがやったとは思ってないから」
そう、初めはこの男が犯人かもしれないと思っていた。けれど男と初めて出会い衝突する中で、募る嫌悪感と反比例してその疑惑は晴れていったのだ。
このやけに頭の切れる男があんな浅はかな事はするはずはないと、何故かファイはそう信じていた。
「そうか―――」
ファイの言葉に男はただそれだけ返す。
そしてそのままファイを通り過ぎると、
「あ、」
「なら次はこっちの話だ。―――これは、何だ?」
「ぅわっ、ちょ、ちょっと待ってそれは、」
ファイの制止も虚しく男は床に放りっぱなしだった、先程ファイが投げ入れた袋を漁る。
中から出てきたのは勿論ドレスに首飾り、付け毛に仮面に―――そして最後は一枚のカード。そこにはあの蒼い薔薇が描かれていた。
「ぁ、ちゃー…」
もう何も言い逃れが出来ない状況に、ファイは頭を抱える。
反対に男は面白そうに口元を歪め、
「ほう、俺に嫁いできたのがかの有名な盗賊だったとは」
「え、ええとねそれはね、」
「しかも男で、正真正銘の偽者とあれば…」
「わー待って待って!もう一つ!もう一つイイ情報あるんだけど!」
ファイは慌てて叫ぶ。あっさりと正体を見破られ、ここでこの事件の幕を引きたくは無かった。
そう、『イイ情報』とは先程見た光景の事だ。あの飛王が戻ってきているという事は、ファイのみならず、この男にとっても、また日本国にとっても良くない事が起こっている証拠で。
それを伝えると、男は予想通り驚いた様子を見せた。ファイは続けて、飛王が手下を使ってサクラを殺させた事や、その際使われた指輪に男のイニシャルが書かれていた事、その事から飛王は男の失脚を目論んでいる事も伝えた。
そしてもう一人、謎の人物がいた事も。
「誰だそいつは」
「分かんない。確認する前に逃げてきたから」
「そうか…。他には?」
「他…」
「何だ?」
他、と言われれば思い当たるのは一つしかない。あの去り際に感じた奇妙な違和感、あれは以前どこかで―――。
その時だ。
「―――――ッッ!!」
どくり、と心臓が鳴った。
思わず窓の外を見上げる。するとそこには、丸く円を描いている月が嘲笑うかのようにこちらを見ていて。
それを認め、ファイは慌てて男に背を向けた。
「で、用はそれだけ?」
「あ?」
「だったら帰ってくれないかなー。ちょっと今日は相手無理」
ばいばい、と部屋の扉を指差す。
いきなりどうしたと思ったが、そんな事を言われて素直に引き下がる男ではない。袋を放り投げ、男はファイを後ろから抱きしめた。びくりと腕の中の体が揺れ、その反応の大きさに疑問を感じたが、構わず続ける。
「まだ話は終わってないぞ」
「―――ウソだぁ。もう充分でしょー」
「まだだと言っている」
「ッ!」
耳元で囁けば、自然とぴくりと反応する。
「名は」
「え…」
「本当の名だ。あるだろう?」
「な、まえ…?」
「言えよ」
―――お前の本当の名は、何だ?
ファイは驚きに目を見張る。まさか名前を尋ねられるなんて思ってもいなかった。そんな事とっくの昔に諦めた事で。
自分の名前はずっと『サクラ』だ。それはこれからも変わらない。変わらない、はずなのに。
すると突然辺りが闇に染まった。雲が月を覆い隠したのだ。
黙ったままのファイに、男は抱きしめる腕の力を強める。 唇で金糸をかき分け、現れた耳に口付けた。
「やっちょ…と、」
「言わないなら言わせるまでだな」
「別に、必要ないでしょー…ッ、!」
「ダメだ」
「っふ、ぁ…」
耳の中を舐められる。ねっとりと絡みつくようなそれに、ファイはぶるりと震えた。
そんなファイに、男は両腕で胸元を弄りブラウスのボタンを一つ二つと外し侵入し、
「教えろ」
男の問いかけはファイを追いつめる。その蒼い瞳は揺らぎ、そこには驚きと恐怖の感情が浮かんでいた。そして、僅かな喜びも。
告げてみようか、この男に。今ではほとんど誰も呼ぶことはなくなった本当の名を。そう、今ではチィしか…。
チィ。
その名前にハッと顔を上げ、ファイは渾身の力で男を押し返す。
腕から逃げ出したファイを男は驚いて見つめた。俯きながら、ファイは静かに嘘を言う。
「本当の名なんて、無い。オレはずっと『サクラ』だったから」
「……」
「何、同情してるの?それで可哀想なオレを救ったつもり?」
おろかだね、とファイは言う。
喉元から沸き上がってくる感覚はもう限界だった。身体は求めて求めてしかたがない。今すぐに逃げだそうと思えば出来るのに。
なのに、不思議と身体は動かなかった。
雲がずれ、月が顔を出す。再び室内に光が満ち始め、ファイの髪を照らし始めた。
キラキラ。
キラキラ。
そして男は、金の下から現れた金に、驚きにたじろいだ。
いつもの空色ではなく、その髪よりも明るく鮮やかな。
「あなたにオレは救えない」
哀しき吸血鬼は、目の前でそう言った。