男は静かに見ていた。

キラキラ。
キラキラ。

闇の中でも煌く髪の持ち主を。

―――今日の獲物は決まった。

ひらりと舞い降りる。そして。


遠くで、雷鳴が聞こえた。



† 薔薇が蒼いその理由は 第四話 †



そして夜が明け―――
翌日、日本国宰相とセレス国王女との結婚式は盛大に執り行われた。
その余りにも美しい夫婦の姿に、人々は羨望の眼差しでもって見つめていたが……まさか麗しい姫の方が男で、しかも既に式の前日に初夜を済ませているなどとは誰も思いもしないだろう。
そして二人の間に流れる微妙な空気にも、誰も気付く事はなかった。


† † †


「男ですって!?」

城のとある一室で大声がした。
ここは政務室。その花嫁との初夜を前の晩に終えた男は、披露宴での義務的な挨拶を済ませた後、こちらに下がっていた。
両脇の壁一面に本が隙間無く埋められている。よく貴族が見栄のために表紙だけはやたら豪華で中身は真っ白な本を置いたりするが、男はそんな事はしない。一国を預かる者として、より良い国作りのために日々知識を培っているのだ。
先程大声を出したのは、そんな男の目の前にいる青年だった。

「大声を出すんじゃねぇ、星史郎」
「まさか…冗談でしょう?」

先程式で見たあの姫が…と、いかにも信じられないという風に呟く。
この青年は桜塚星史郎という。日本国の名外交官だ。
男より少し長めの柔らかそうな黒髪を持ち、その顔には柔和な笑みを浮かべている。着ている服も華美過ぎず適度に洒落ていて、黒ずくめであっさりと決めている男とは対照的に全身白だ。そしてこの国では珍しくガラスで出来た眼鏡をかけていた。
そんな彼は十年前、剣術の師を通じて男と出会った。気難しい彼と今に至るまで付き合っているのは星史郎のみである。

「俺が冗談言うか阿呆」
「では、本当の事だと?」
「だからそう言ってるじゃねぇか」

何度も言わせるなと、男は面倒臭そうにため息を吐く。
全くこの男は昔から言葉が足りない。いきなり呼び出されて、実はあの花嫁は男でしたとだけ告げられても、信じられる訳が無いだろうに。

―――ちなみに黒鋼。そう思う根拠は何処に?」
「ああ?抱いたんだから誤魔化し様がねぇだろが」

と何の臆面も無くそう言われ、星史郎は言葉に詰まった。
花嫁が男だというだけでも衝撃だったのに、それに加えてまさかこの男まで―――
一応予想していた答えとはいえ、思った以上にショックを受けている自分に気付き、星史郎は色んな意味で頭を抱えた。

「全く貴方って人は……。あの手紙の内容を確かめるだけではなかったのですか?」
「俺だって初めはそのつもりだったんだ。けどまさか男だなんて思いもしねぇだろ」
「まぁ、それはそうですが…」

星史郎は、男の元に例の『花嫁は偽者だ』という手紙が届いた時その場に居合わせていたのだ。
この男は性格はともかく外見はいい。それこそ言い寄ってくる女は山程いる。だから今の話は、男の女性経験を全て知っている者としては全く寝耳に水だ。

「ドレスを着ていれば本物の女に見えるんだ。俺が欲しいのは形としての妻。別にこのままでも支障はねぇな」
「貴方らしいというかなんというか。……まさか黒鋼、一度抱いて味を占めたとか言うんじゃないでしょうね」
「はぁ!?」
「冗談ですよ。ま、男の嫁を本気で愛するなんて、オペラ座の喜劇にすらならないでしょうね」

そう言って、星史郎は眼鏡の奥でやんわりと笑う。この青年、温厚そうな顔に対して受ける印象が強烈なのは、きっと左右の瞳の色が違うからだろう。
深い闇色と、そして怖いくらいに透き通った白。
出会った時からこうだったのだが、男は一度聞いてみた事がある。その時星史郎は『何故左右の色が違うのか』という問いには答えず、右目が義眼である事のみ告げた。
男もはぐらかされた事に気付いたが、性格上他人に深く立ち入ることはしない。
だから、ニ度と聞くことは無かった。


† † †


そして式から数日後―――

男は浮かれていた。
先日セレス国で受けた仕事が成功し、莫大な謝礼金を受け取る事が出来たのだ。よほど嬉しかったのだろう、男は事ある毎にその話を仲間内に自慢気に話していた。
そして今日も日本国のとある街で、男は贅沢の限り遊び尽くしていたのである。


優雅な音の調べと共に人々は踊り始めた。今夜は仮面舞踏会。皆、色とりどりの仮面を付け、一夜限りの芝居に酔っている。
男はそこでとある貴婦人に声をかけられた。薄桃色のドレスを身に纏っている彼女の美しさに、男は一目で恋に落ちる。
何千本もの蝋燭に照らされキラキラと光る金の髪。仮面の奥から覗く二つの蒼い宝石。それが誘うようにいたずらっぽく細められる。
二人は連れ出って中庭へ行った。すると突然婦人が背を向ける。申し訳ありませんが今宵はお相手出来ません、大事な用を思い出したのです―――そう告げた婦人は、次に会う約束にと銀色に光る何かを差し出した。それは指輪だった。
どこかで聞いた話だなと思ったが、男は誘われるがまま指輪を嵌められる。と、そこに小さな痛みが走った。
何をと思い顔を上げると、そこには仮面を外した婦人がにこやかに笑っていて。その笑みに、さすがの男も思い出す。
そこには、先日自分で手をかけ闇へと葬ったはずの姫君がいたのだ。
それを認め、男はそれはそれは物凄い勢いで逃げた。何度か躓きながら馬車に乗り込むと、馬車馬が高らかに一つ鳴き走り出す。そして、とある屋敷へと入っていった。随分と長い間手入れをしていない様子のそれは所々朽ち果てていて、まるで御伽話に出てくる幽霊屋敷そのものだった。
男は馬車を乗り捨てると転がるようにその屋敷へ入っていった。ぽかりと空いた壁の穴から中の様子が伺える。
そして勿論後をつけていたファイは、そこで捉えた光景に驚いた。
先程の男が助けを求めるかのように縋っている、もう一人の男。それは間違いなくあの男だった。その名は、飛王。
飛王―――日本国現王の跡継ぎ争いで、宰相であるあの男に国外追放されていたはずだ。まさか戻ってきていたとは。成程、サクラ暗殺はこの男が企てたものだったのか。
と、ファイが一人納得しかけたその時。

カサリ。

突然背後から音がして、ファイはそれが誰だか、何故今まで気が付かなかったのかすら考える余裕もなく、逃げるようにその場を去った。
その際感じた微かな感覚に、デジャ・ヴを感じながら―――


† † †


夜空に浮かぶ月は、既に真上に達していた。
森から抜け、ファイはすぐに館へと戻った。頼んでおいた通り自室の窓は開いていて、そこからまず抱えていた袋を放り投げ、次に自身を投げ入れる。
暗闇に足を着け、目当ての人物の名を呼んだ。

「チィ?帰ったよ。どこ?」
「あいつなら自分の部屋にいるように言ったぞ」
「っ、」

突然、思いも寄らぬ方向から聞こえてきた声に、ファイは固まる。

「…なんで、いるのかなー?」
「夫が妻に会いに来てはいけないか?」

期待とは違い、そこにいたのはあの男だった。黒い衣装に黒い髪。ほとんど闇に溶けてしまっている中、浮かぶ二つの紅い瞳。それがファイを見つめている。
まさかこの男が来るだなんて。式以来顔すら合わせていなかったのに。

「オレに一体何の用?」

そう訊ねると、男は無言のまま懐から何かを取り出し、ファイに差し出した。何をと思い受け取るのを躊躇していると、男自らその中身を取り出す。
そこには一輪の薔薇が咲いていた。いや、正確には薔薇をモチーフとしたコサージュだったのだが。

「何、それ…」
「お前にやろうと思って」
「はぁ?あなたがオレに贈り物ー?」
「夫が妻に贈り物をして何が悪い」
「……悪いも何も、男に贈り物をされて嬉しいわけがないでしょー」
「お前は俺の妻だろうが」

確かにそうなのだが。そこまではっきりと言われてしまうと二の句が告げないではないか。
そんな黙ったままのファイに男は歩み寄り、そして甘く輝く金の髪を一房取り囁いた。

「似合うな」
「……」
「なんだ不満か?」
「不満じゃないけどー…まぁ、確かに良い物だと思うよ。作りも凝ってて」
「そうか」
―――蒼い、薔薇ね」
「何だ?」
「んーん、何でも」

蒼い薔薇。それはファイの象徴とも言える花だ。
『D・ローザリー』として仕事を終えた後、必ず現場に残す一枚のカード。そこにも勿論、蒼い薔薇が描かれている。
そして何よりその蒼はファイの瞳の色だ。澄み切った空のようなその輝きは、見る者全てを魅了する。宝石のように美しく磨き、自分の手元に置いておきたくなる。
しかしファイは、誰の物にもなるつもりはないけれど。
目の前の男を見据える。この男がそんな事を考えてこれを贈ったとは考えにくい。というかそもそも『贈り物』など、この男のイメージではない。
と、そこである考えが浮かんだ。

「もしかしてこの前のお詫びー…だったり?」
「っ、」
「え、ウソ―――

僅かだが顔色を変えた男にファイは驚く。ファイとしてはほんの軽い気持ちで言ったのだ。そこに他意はなかった。この男が詫びのために自分に贈り物をする、だなんて毛の先程も信じていなかったのに。
―――本当に、この男は自分のために?
動揺がばれて気まずいのだろう、男はファイに背を向けてしまった。その背を見た途端、ファイの奥から何かが沸き上がる。
それは、喜びという名の感情だった。

「ねー」
「……」
「ねーってバ」
「……何だ」
「ありがとう」

そしてその感情のまま述べれば、男は少しだけ顔をこちらに向け、

「…礼なんぞいらん」

と吐き捨てた。その言葉にファイは嬉しそうに顔を歪める。
それは、ファイがこの国に来て初めて心から笑った笑顔かもしれなかった。