―――サクラが、アナタに会いたがっているわ。

館に着いた時、ユウコは静かにそう言った。そしてそのままサクラの元へと案内される。
てっきり上の客室にいるのかと思えば、通されたのは地下の貯蔵庫だった。ひんやりとした空気が肌を撫でていく。
そこでサクラは死んでいた。
扉を開けると、ワインが並ぶ倉庫の一角に棺があった。瞬時にその意味を悟ったファイは、棺へ駆け寄り震える手で蓋を開ける。
そして愕然とした。そこにはサクラが、彼女と同じ名の花に囲まれ静かに眠っていたのだ。

「…な、ぜ……こんな、」
―――この子が息を引き取ったのは、数日前の事よ」
「貴方が…貴方がいながら何故こんな事に!?」

ファイは感情のまま黒い蝶を振り返る。彼女もまた、女皇帝とも呼ばれ、普段政治家達から恐れられている姿からは想像も出来ない程に揺らいでいるのが分かった。
その眉を悲しげに歪め、ユウコは事の次第を話し始めるのだった。



† 薔薇が蒼いその理由は 第二話 †



セレス国公式愛妾ユウコの隠し子であるファイが生まれたのは、今から十八年前の事だ。
ファイは三歳になるまでは乳母の田舎で育ったが、その後はサクラが修道院に入るまでずっと城の奥で育った。育った、と言っても全く表に出なかったわけではない。
本物の貴婦人であるサクラより、ダンスや演劇の才能に秀でていたファイは、度々サクラの代わりに公の場に現れていた。常に柔和に微笑む彼女の愛らしさに、人々は宮廷に春が訪れたようだと絶賛し、『サクラ姫』は一躍社交界の寵児となった。
しかしサクラと別れ、今度は遠縁の将軍の元へと預けられたファイは、剣や馬術の修行に明け暮れる日々の中で、突如、姿を消したのだ。

そしてその直後から、『D・ローザリー』なる怪盗が大陸を騒がせ始めたのである。

勿論すぐさまユウコは探した。が、予想に反し中々見つからない。
しかし半ば諦めかけた頃、突然ファイがユウコの元へ訪れたのだ。窓辺に立ち、月の光を背に浴びてファイは一つ笑む。
―――お久しぶりです、お母様。そう、挨拶をしたファイの格好は貴婦人のそれだった。
いきなり女装姿で現れた息子に、ユウコは問う。

「私の術をかわしてまで、どこで何をしていたの」
「貴方なら分かってるでしょー」
―――それが、アナタの答えなのね」
「……」
「一つ言うわ。この世に偶然は無い。アナタの身に起こった事も、今アナタがしている事も、全ては必然の表れ。これから起こる未来の、」
「『未来のための必然』―――昔よく、貴方が言っていましたね」
「そう…でもファイ、やり過ぎはキケンよ。その身を滅ぼしかねない」
「そういう事にあんまり興味はありませんねー。ただ…」
「ただ?」
―――オレはね、母上。逃げてるんですよ」
「逃げる?」
「そう、この世の全てから」

そう言うと、ファイは窓から身を翻し闇へと消えた。


† † †


あれから二年。
その間も、ファイは『D・ローザリー』として富める者から奪い、貧しい者へ施す事を止めなかった。宝石や金貨を奪われたブルジョア達は悔しさで地団駄を踏み、貧民街の住人は薔薇の怪盗に拍手喝采を浴びせる。
そんな事が永遠に続くかと思われたある日、突然ファイはユウコに呼ばれた。

そして、今に至る。


† † †


―――サクラが、とある舞踏会で声をかけられたの。その時、次に会う約束にと、これを」

そう言ってユウコはファイへ何かを差し出す。受け取ると、それは銀色に光る小さな指輪だった。
話によるとこうだ。結婚前に羽目を外せる最後の機会だと、サクラは久方ぶりの舞踏会にはしゃいでいた。そしてその時に、隣国日本国の騎士と名乗る一人の男と出会ったのだという。

「宝石の部分を押してみなさい」

ファイは言われた通りに押してみる。すると指輪の内側に小さな針が飛び出した。隠し針だ。先端には毒が塗られていたのだろう、その部分が変色している。
男はサクラに指輪を嵌めさせ、その際、宝石を押して殺したのだ。

「毒、殺―――…」
「毒は日本国にしか生えていない、木の根を削ったものよ」

ファイはその言葉にハッと目を見張る。
日本国の騎士、日本国の毒―――それらはどうみても。

「日本国側が仕組んだものだ……と、そう言いたいのですか?」
「まだ決まったワケではないわ。けど…」

そう言うとユウコは歩み寄る。
指輪を摘み上げくるりと回し、内側をよく見えるようにファイへ示した。

「ここに日本国の龍の紋章があるの。それに、サインが読める?」

そこにははっきりと『K』の文字が書かれていた。
それを認め、ファイは信じられないという風に叫ぶ。

「まさか!黒公爵が自分の婚約者を殺したとでも言うのですか!?」

セレス国の隣にある日本国。その国の現在の王は、まだ十四歳の少年だという。
先代の王藤隆の亡き後、大規模な跡継ぎ争いの後、その『黒公爵』が他を退けて藤隆の実子である小狼を王にしたのだ。その際、隙を見つけて先に玉座に座っていた小狼の義兄である飛王とその一族を国外追放にした話は有名である。
以来『黒公爵』こと黒鋼は、宰相として実質日本国の政治を担っている。国民には優しく、貴族には厳しいその辣腕ぶりと、いつも纏っている黒衣から『黒公爵』と呼ばれ、他国から恐れられているのだ。
そしてこの度、セレス国の王女サクラとの結婚が決まった。

「しかし、黒公爵がこんな事をして何の得になるのでしょうか…」
「どちらにしろ、サクラが死んだ事に変わりはないわ」
「……確かに。母上の先見でも予測し得なかった事だ。犯人が黒鋼公にしろ誰にしろ、よほどの術師が絡んでいるのでしょうね」
――――――そう、ね」

ファイはサクラを見つめる。その顔は苦痛には歪んでおらずとても穏やかだ。それが唯一の救いだと思った。
そっと彼女の頬に手を当てる。ひどく冷たいそこは以前のように薔薇色に染まる事は無い。ファイは顔を近付け、サクラの唇に接吻をした。どこかの御伽話のように、それで姫が目覚める事は無かったけれど。
妹と別れを済ませ、ファイはユウコへ向き直る。

「それで母上。オレを呼び出したという事は勿論、何かあるのでしょう?」

そう問うファイの表情は、次に告げられる内容を既に分かっているようだった。
どんなに別の環境に身を置いているにしろ、血を分けた母と息子に変わりない。ファイにはユウコの考えが理解出来た。

「ええ。―――ファイ、サクラの代わりに日本国へ嫁ぎなさい」

その、艶やかな黒で塗られた指先をファイへ向け、ユウコは言う。
それはファイも望んでいる事だった。唯一無二の妹を殺されて、ただ泣き寝入りするつもりなど毛頭無かった。例えユウコに言われなくても、自分で何かしらこの事件の謎を解こうとしていただろう。
ユウコの突然の申し入れに、ファイは頷いた。
正体を偽って嫁入りし、妹殺人の謎を探る―――それが今回『怪盗D・ローザリー』であるファイに課せられた使命だ。
例えその犯人が、数々の証拠が示している通り黒鋼だったとしても、いやだからこそ、ファイはこの任務を命に換えてまでやり遂げようと、そう誓った。


† † †


それから二週間後。
『サクラ姫』を乗せた豪華な花嫁行列は、高らかなトランペットの調べと共に厳かにセレス国を旅立った。
それを自室のバルコニーから見つめているユウコに、皇帝が近づく。

「とうとう行ってしまいましたか」
「クロウ、」
―――先を見通せる力というのは、辛いものですね」
「!クロウ、あなた知って」
「泣きたいのなら泣きなさい。そのために私がいるのだから」
「……ええ…」
「信じましょう、未来を」

それが、何よりの力になる―――

皇帝とその愛妾夫人は寄り添いながら、いつまでも見送っていた。



いつまでも、いつまでも。