木を隠すなら、森の中。
石を隠すなら、宝石箱の中。
それと同じように、身を隠すなら、豪華に着飾った紳士か淑女達の中がいい。


―――さて、今日はどちらにしようか。


一仕事を終えたファイは、獲物を片手に一人ほくそ笑んだ。



† 薔薇が蒼いその理由は 第一話 †



セレス国の首都の夜は長い。
日差しが茜色に変わる頃、ようやく起き出したこの街の貴族達は、今宵もあちらこちらで開かれている舞踏会やオペラ座へと足を運ぶ。
数多い夜会の中で、ここではどうやら仮面舞踏会が開かれているようである。人々は皆、色とりどりの豪奢な仮面を身に付け、踊りや談笑、はたまた恋の相手探しに忙しい。
すると突然、その夢のような場に相応しくない悲鳴が上がった。


† † †


その少し前。
逢引用にと切り込まれた迷路のような中庭で、一組の男女が抱き合っていた。夫人がこの見目麗しい青年に声をかけられたのはつい先程の事。仮面から覗く、宝石のように輝く蒼い瞳に魅せられ、誘われるがままここへと来たのだ。
しかし何を思ったのかいきなり青年は背を向け、今宵は相手が出来ないと告げた。大事な用があるのだと。
初めはお決まりの芝居かと思ったが、青年の態度は頑なだった。誘っておいてそこまで拒むのはさすがにどういう事かと、夫人が少々声を荒げる。すると青年はああ申し訳ありません、と芝居がかった口調で嘆き、彼女を強く抱き締めた。そして耳元で囁く。

「貴方の余りの美しさに、ついお誘いしてしまいました。今宵はこれで去らねばなりませんが、またの夜会の折に…」

と、その端正な眉を下げ、潤んだ瞳で言われてしまえば否とは言えない。惜しいが、これもまた夜会の楽しみ方の一つなのだ。
青年と別れ、夫人は夢見心地で会場に戻る。すると彼女の姿を認め近付いてきた側近が、奥様!と叫んだ。
何事かと視線を降ろすと、そこには今夜のために一流職人に作らせた豪華なダイアモンドの首飾りの代わりに、粗末な麻布で出来た一本の紐がぶら下がっていて、その先には何かが揺れていた。
はらり、とそれが舞い落ちる。それを認め、夫人は金切り声で叫んだ。

「D・ローザリーよ!D・ローザリーに私の首飾りが!!」

そこには一枚、蒼い薔薇が描かれたカードが、夫人の足元で笑っていた。


† † †


場内は色めき立った。
かの怪盗が現れたと知るや、皆がこぞって一目見ようと悲鳴の方へ押し寄せる。といっても見られるのは、胸元を押さえ喚いている夫人とその側近だけなのだが。
そんな中でもしつこく迫って来た男を、先程と同じようにさらりとかわしたファイは目当ての人物の元へと急ぐ。哀れな夫人の周りに人が集中したためか、その人物はすぐに見つけられた。そうでなくとも簡単に見つかったであろうが。

「お母様、よろしいかしら」
「ファイ、」
「少し気分が優れませんの。そろそろお帰りになりませんこと?」
「…また、やったのね」
「あら、何のことでしょう?」

にこり、とファイは事も無げに笑みを浮かべる。それは大抵の男が見たら、余りの可憐さに頬を染めるであろうものだった。
今日の彼女?はその瞳と同じ、薄い鮮やかなブルーのドレスを身に纏っている。胸元をレースとフリルで飾り、たっぷりとふくらんだスカートにはドレスよりも濃い蒼い刺繍糸で縫われた大輪の薔薇が一つ咲いていた。甘く柔らかい金の髪は綺麗に巻かれ、同じ花を咲かせている。仮面も同じ装飾で出来ており、まるで蒼い薔薇の妖精のようだ。

「とぼけたってムダよ。せっかく忠告しておいたのに」
「無理でしょー。オレが聞くとお思いで?」

すると突然、先程とは違うくだけた口調になる。
他の貴族達は例の怪盗騒ぎでこの会話を聞く事もない。勿論、それを分かっていてやっているのだが。

「さ、お母様。早く行きましょうよ」
「誰かさんのお陰で、この宮廷からは誰一人出してはならぬ、と先程主催の方が言っていたわ。どうするつもり?」
「それは貴方の仕事でしょー」
「私に泥棒家業の片棒を担げと?そんなリスクの高い事はしないわ」
「ご冗談を。ただオレを連れて、ここから退出してくださるだけで良いのです」

どう言おうと結局は同じ事である。
『お母様』と呼ばれた夫人は一つため息を吐き、ついて来なさいとただ一言呟いた。その言葉に、ファイは楽しそうに後に続いていく。
勿論、二人は広間の大扉で数人の警備兵に止められた。

「奥様、お嬢様。申し訳ありませんが、ただ今ここからお出しする訳には参りません。どうかお戻りください」
「連れが気分が悪いと訴えたのです。通してくださる?」
「どなたであろうと誰も帰すなという、旦那様からのきついお達しですので…」
「そう……それはこの私であっても、そうなのかしら?」
「いえ、ですからそれ―――っ!あ、貴方様はっっ!!!」
「も、申し訳ありません!ど、どどどどどうぞお通りください!!!!」
「グロサム男爵によろしく伝えておいてくださいね」

ひらり、と一つ手を振って夫人と姫は扉を抜ける。
二人の姿が見えなくなってやっと顔を上げた兵士達は、お互いを見つめ、ため息を吐いたのだった。


† † †


さっすがー、とファイは内心呟き目の前の人物を見つめる。
どこまでも艶やかで真っ直ぐな黒髪を後ろで一つに大きく結い上げ、大小様々な蝶の飾りを散りばめたその様は、まるで黒い蜜を吸いにきた蝶の群れのようだ。ドレスもまた黒を基調とし、胸元から裾、袖にいたるまで色鮮やかな蝶達の模様で飾られている。先程兵士に顔を見せるために外した仮面も、同じく蝶の羽を型取っていた。
『黒蝶のユウコ』。それがこの国の皇帝クロウの愛妾夫人、また、ファイの母親の呼び名である。

「ふふ、今頃会場は大騒ぎですわね。かの怪盗はもういないのに…ね、お母様?」
「全くいつまでやるつもりなの。捕まったって知らないわよ」
「あははー。心配しなくてもそんなドジを踏んだりはしませんよー」
「心配なんてしてないわよ。どうせ聞く気もないクセに」
「あら、よくご存知でいらっしゃる。お母様のそういうトコロ、私好きですわ」
「……」

会場から離れ、お抱えの馬車に乗り込んだ二人はそれぞれ仮面を外す。
現れたのは勿論、黒髪の美女と金髪の美姫であった。


† † †


『社交界の華』と呼ばれ、国民全員から愛されているセレス国の王女。そんな彼女の結婚が決まったのはつい先月の事だ。
庶子であったユウコが皇帝の公式愛妾にまで登り詰めた事は、この国を飛び越えて大陸中の有名な話である。そしてその皇帝とユウコの間に一人の姫がいる事も。
彼女の名はサクラという。春の陽だまりのようにふわりと笑う心優しい彼女を、皇帝を始め、ユウコもファイも溺愛していた。
しかし皇帝も国民も、はたまた大陸中の人間も知らない事実があった。
一つは、サクラには兄が一人いる事。
二つは、しかしその兄の出生は公表されておらず、城の奥でひっそりと育てられていたという事。
三つは、『社交界の華』と褒め称えられていたのは、サクラの代わりをしていた兄の方だという事。
そして最後に、その兄―――ファイは、今大陸を騒がせている『怪盗D・ローザリー』の正体である、という事。


† † †


そんな重大な国家機密を共有する二人を乗せて、馬車は闇深き道を進んでいく。
これから起こる、隣国日本国との、とある一つの物語に向けて―――