サクラ公妃は元来病弱で、事件の後ひどく体調を壊し、その療養のために他国へと赴いたその矢先、残念な事にそのままお亡くなりになってしまったと。
それがファイの用意したシナリオだった。


そして、それは実行される。



† 薔薇が蒼いその理由は 第十四話 †



男は不機嫌だった。
理由は二つ。一つは、肩の怪我が完全に癒えるまで仕事はするな!という少年王からの命令で。普段やる事と言えば政務か剣の修行のみだった男にとって、それは苦行以外の何者でも無かった。
このままでは体が鈍ってしまうと、実はこっそり影で剣を振るっていたりしたのだが。それが運悪く少年にばれ、こっぴどく叱られたのはつい昨日の事だ。
何だか以前と立場が変わってしまったなと、心の中で苦笑する。


あれから一月が経った。
飛王と、その黒幕であった星史郎の悪行と死亡が公布され、人々は諸手を挙げて国の危機を再び救った男に拍手喝采を浴びせた。日本国万歳、黒鋼公万歳と、今でもその話題で街中は賑わっている。国全体がお祭り騒ぎだ。
しかしその中で、この事件の本当の姿を知る者は少ない。
星史郎はこの国の人間では無かった。いや正確にはこの世界の、か。 未だに男自身信じられないのだが、今まで星史郎だと思っていた人物は他の次元の、別世界の人間であるらしい。
己の目的のために各次元を渡り歩いている放浪人。それが星史郎の正体で。
しかも吸血鬼というのはどうやら余り歳を取らないらしい。そうファイに言われ、そういえば星史郎は出会った十年前から外見は何一つ変わってなかったなと男は気付く。
まあ、それも今となっては全て後の祭りだけれども。


ふう、と一つ息を吐き空を見つめる。
チチチチ…、と飛び交うつがいの鳥達を目で追いかけ、何気無しに自分とあの金髪の姫を思い浮かべた。そして次の瞬間、そんな己に赤面する。年頃の娘じゃあるまいし何を想像しているのか、黒公爵ともあろう者がそんな恋する乙女の様な―――
そう、こんな想像をしてしまうのはきっとあれのせいだと。男が不機嫌な理由のもう一つ。それは。

「叔父上ー!」

と、そこで男に声がかかる。変声期前の少年特有の高い声が聞こえ、男は自然とそちらへ向いた。
やって来たのはこの国の王様で。それはまた、昨日自分を叱った人物でもあった。

「どうしました陛下。今日は剣の修行などしておりませんが」
「そうではありません。ちょっと叔父上に頼みたい事がありまして」
「頼み、とは?」

少年が自分に頼み事なんて珍しい。
男は少し驚いて目の前の人物を見つめる。すると少年は、

「叔父上に、今すぐ公妃の元へ行って欲しいのです」

にこりと笑みを作り、そう言った。


† † †


ギシ…、と寝台が鳴く。
先程までうるさいくらい鳴っていたそれは今は静かで、聞こえたのは男が寝返りを打った音だけだった。
天蓋付きの厚いビロードのカーテンで覆われたその中で、金髪を弄ぶ手はそのままに男は言った。

「…行くのか?」
「うん…」

腕の中で金の髪が小さく応える。
男はその額に一つ口付けた。そして次は瞼にも。顔中のいたる所に唇を這わせ、しかし決して肝心な所に触れようとはしない。
そこは禁忌だ。触れてしまったら、もう止められなくなってしまう。

「手はずはさっき話した通りだけど…。まぁ、オレは途中で消えさせてもらうねー」
「…ああ」
「後は上手くやってね」

にこり。完璧ともいえる笑顔を張り付けファイはそう言った。
その言葉に、男はファイに身体を乗せ上げる。一つ名前を呼ぶと嬉しそうにこちらを見つめてくる、その蒼い瞳を見下ろし、男は口を開いた。
その、今まで誰にも告げた事などなかった、言葉を。

「俺はお前を…」
「くろ、」
「あい―――

   。

その先は続かなかった。さくら色の唇が己のそれを塞ぎ、まるで封じ込めるかのように押しつけられたのだと気付いたのは一瞬後で。
想いを表すためのはずの口付けが逆の意味で使われる―――その皮肉さに胸が軋んだ。
軽々しく愛の言葉を口に出来る程既に子どもではない。告げてしまったら、聞いてしまったら、もう二度と。
それを分かっているからこそ何よりもただ。

―――ね、それよりも、もっと」

首に腕を回し誘い笑う。愛の言葉よりもずっと簡単で即物的なその言葉。それを耳元で囁かれ身体が震えた。
そしてその衝動のまま、後はお互いを高め合うだけだった。


夜が明け、空が白む頃。
寝台から一つの温もりが消えた。するりと、まるで猫のようなその動作を背中越しに感じながら、別れの言葉など何一つ無く、ただ残されたのは。

「ったく…これ置いてくのかよ阿呆」

薄明かりの中、男の笑い声だけが響く。痛みを耐えるかのような、喉から絞り出したその声は空中でむなしく分散していった。
その隣には、蒼い薔薇が一つ。
男が初めて贈った、そして事件の後もファイが大切に持っていたその薔薇が、真っ白いシーツに、鮮やかに咲いていた。


† † †


数日前の事を思い出し、男の眉が寄る。

「肩の怪我はもう大分良いのでしょう?でしたら、今すぐ荷物をまとめて公妃の所へ行ってください」
「…怪我がもう良いのでしたら、私としては今すぐ政務に戻りたいのですが」
「駄目です。これは王命です」
「……」

明らかに以前とは違って押しが強くなったこの少年を、男は不思議なものを見るような目で見つめる。
一体どうしたというのだろう。まさかあいつ変な事吹き込んでいったんじゃないだろうなと、へらへらした読めない笑顔を思い浮かべながら男は返す。

「お言葉ですが、陛下。妻とは具合が良くなるまで会わないと約束をしたので」
「嘘ですね」
「は?」
「そんなの、叔父上と公妃を見ればすぐに分かります」
「…それは、どうしてそうお思いになられるので?」

いや、確かに嘘なのだけれど。
あっさりと見破られ、言葉に詰まりながらもそう問うてみる。こういう時のために用意しておいた台詞が何の役にも立たず、内心少々焦りながら。
そしてこの後、男が更に驚くような事を少年は告げるのだった。


† † †


「陛下は、想いが通じ合う方と幸せになってくださいませね」

そう、金髪の姫君は言った。
暖かい午後の光が差し込む庭先で。白いカップから漂う甘い香りを楽しみながらぽつりと。ともすれば聞き逃してしまうかのような小さな言葉に、少年はどうしたのかと視線を向ける。

「ちゃんと想いが通じ合い、いつでも側にいられるような方と」

蒼い双眼は細められる。

「手を伸ばせば届く距離にいつもいられるように。互いに安心して背を預けられるような、そんな方と共に」

じぶんにはかなえられないねがいだから―――と、少年には聞こえた。
カップを置き、見つめる。いつも美しく優雅に微笑んでいる表情は揺らぎ、そこに哀しげな感情が見え隠れしていた。
急にどうしたのかと、公妃は今は幸せではないのかと。
そう問いかけると姫は何も言わずにただ、困ったように笑った。


† † †


―――会いたいなら会いにいけばいいのです。どうしてもっと自分の気持ちに素直にならないのですか」
「ですが陛下。自分は夫である前にこの国の宰相です。そんな個人的な感情で、」
「公妃は、『個人の幸せを望まずに良い政治は出来ない』と言っていた!」

少年が声を荒げる。
その真っ直ぐで素直な視線は、人の心に突き刺さる。誤魔化す事も嘘を付く事も憚られるようなその琥珀色。それが幼さ故のものだと言ってしまえばそれまでなのだけれど、でも少年のそれは生まれ持ったものだ。一国の王としてふさわしい、その瞳。

「自分の幸せをないがしろにして何が宰相ですか。そんな者は政治を行う資格は無いとおれは思う」
「陛下、」
「さあ、早く公妃の元へ行ってください!」

かなりぶっ飛んだ事を言う少年に困りながらも、しかし内心男は憤っていた。

何が『個人の幸せ』だと。そんなの自分が一番諦めているくせに。 それを勝手に自己完結して、自分には出来ないからとこの少年に押しつけて。 そしてまた彷徨うのか、誰もいない夜の街をたった一人で。
馬鹿野郎、と男は呟く。じゃあ何故あの時あんな顔をした。自分の言葉を遮った、あの時。

―――陛下。お願いがあるのですが」

ぐ、と拳を握り男は言う。
それに少年は何でしょう、と返し、そして。

「自分が戻るまで、政をよろしくお願い致します」
「はい、任せてください!!」

そう言うと少年は嬉しそうに破顔する。
それに一つ笑い、

「やはりあなたはこの国の王だ」

そう言い残し、その場から身を翻した。
この少年のためにも、そして何より自分のためにも絶対に、

「あの馬鹿を、連れ戻してやる」

そう心の中で誓い、男は馬上の人となり駆け出した。
その手には勿論、あの蒼い薔薇が握られていた。