「ありがとう」とそう言った少女は、数日後には娼婦に身を堕とし。
「ありがとう」とそう言った少年は、数日後にはスリをする。

富める者から金品を奪い、貧しい者へと分け与える。
それが自分に出来る唯一の事だと思っていた。こんな、人ではない自分が出来る、たった一つの。

ふと振り返る。もう癖になってしまった、それ。
朝日が昇る、あの男がいる国の方向を見つめながら。そうして思い出すものは―――



† 薔薇が蒼いその理由は 最終話 †



ここはセレス国の首都。その、とある舞踏会場にて。
ユウコは一つため息を吐いた。全くもって退屈でならない。先程から誘ってくる男共は程度の低い会話しか出来ないし、それに何より、先日やっと帰ってきたと思った我が息子が。
相変わらずぼんやりしているのであろう彼の人物を思い浮かべ、知らずのうちにその端正な眉が寄った。
そんなユウコの背に声がかかる。低く、よく通るあの声が。

「美しい方。どうか私と一曲踊って頂けませんか?」
―――――アナタが言うと反吐が出るわね」

初対面の相手にその返しはどうかと思うのだが。
振り返るとそこには一人の男がいた。黒い髪に黒い衣装、鍛え抜かれがっしりとしたその体格に、周りの夫人達から熱い視線が送られる。
そんな視線に一瞥もくれず、男はユウコの前へ歩み寄った。少し乱れた髪、少しこけた頬―――それだけでこの男がどれ程急いで来たのかが分かる。それにふと笑い。
あの子はあそこにいるわよと、男が何か言う前にユウコは奥の休憩室を指差し告げ、

「早く連れて帰ってくれない?いつまでもウジウジしていて堪らないのよ」
「言われなくとも、」

そうするつもりだと。
そう言い、脇を通り過ぎようとした男の背に向かって、ユウコは、

「あの子の力は世界を揺るがすわ。何の力も無いアナタに、乗りこなせるかしら」

そう、挑発をすると、

「言ってろ。俺はしたいようにするだけだ」

短く、しかしはっきりと言い切り、男は奥へと消えていった。
その背中を目で追いかけポツリと呟く。

「ホラ…ね、言ったでしょう?全ては『未来のための必然』だと」

長く艶やかな黒髪をさらりと揺らし目を閉じる。その未来のために、悩み苦しみ犠牲となった多くの者達に思いを馳せ、そして願うのだ。強く強く。
これから先、彼らに幸多からん事をと。


† † †


扉を開け、男が見たのは予想通りの反応だった。

「…まぬけ顔」

会ったら一発がつんと言ってやろうと思っていたのだが、余りにも期待通りの顔をされ、何だか拍子抜けしてしまった。
言われた相手はそれでも固まったままで。大きな瞳をこれ以上無いくらいに開きこちらを凝視している。
それは夢か現か判断しかねているように見えた。

「言っとくが夢じゃねぇぞ」

ほら、確かめてみるか?と笑って言う。
その言葉にハッとし、何故か今夜もドレス姿の相手はその場に立ち上がった。これで感極まって抱きついて来たのであれば、男としても万々歳なのだが。
ふらりと相手が一歩踏み出す。未だに信じられないのだろう、確認するかのようにその白い手が男の頬へと伸ばされた。
目を細めそれを見つめ、そして次の瞬間。
男の頬を、強烈な痛みが襲った。


† † †


―――――何、やってるのかしら。あの子たち」

舞踏会場からの帰り道。
馬車に揺られながらユウコは呆れて呟いた。その手にはオペラグラスを持ち、両眼は二つのガラスを覗いている。
そこに映っているのは一組の男女。事情を知る者が見れば、その女の方は実は男だとすぐに分かるのだが。勿論ユウコはそれを知っている。

「ほら、アナタも見てみなさい」

そう言い、己の前に座っていたチィにグラスを渡す。
チィは戸惑いながらもそれを覗いた。すると見えてきたものは。

「ま、せいぜいあがく事ねー。時間の問題だと思うケド」

その光景に驚いているチィの前でユウコは言う。その顔に笑みを浮かべて。
その意味を図り損ねたのだろう、きょとりとしたチィの瞳がこちらを向いてくる。それに向かってユウコは、

「要するに、『お姫様は王子様と幸せになりました』、という事よ」

そう言って片目をつむった。
その言葉を聞きチィの顔が輝く。願いは叶ったのだと。以前、夜空に浮かぶ星達に祈った、あの願いが。


―――あのひとがしあわせになりますように。


この後の展開は容易に想像出来るもので、二人は目を合わせ、くすりと微笑んだ。


† † †


さて、そんな事を言われているとは露知らず。
先程の男女?は夜の街を走っていた。一人はドレスを翻しながら、もう一人はその逞しい両足をこれでもかと前後に動かして。

「待ちやがれ、てめぇ!!」

薄暗い夜道に男の怒声が響く。ドレスの貴婦人はその声に足を止める事なく必死で逃げた。
動きにくいドレスを着ているにも関わらず、常に男と一定の距離を保ち続けているのは賞賛に値すると言えるだろう。
男は思わず感心した。が、しかし問題はそこではない。

「ち、くしょ…こちとら三日寝てねぇんだぞ」

両手を膝に付き足を止める。伝う汗を拭い肩で息をしながら、ちくしょうともう一度呟いて。
そして再び走り出す。


一方ファイは焦っていた。
信じられなかった。まさかあんな所にあの男が現れるなんて微塵も思っていなかった。あの政治の鬼が国を放り出してまで自分を追いかけてくるなんて、全く想像もしていなかったのに。
曲がりくねった複雑な道を迷う事無く進んでいく。裏路地に入り、突き当たりを右に曲がるとそこは行き止まりになっていて。もうここまで来れば大丈夫だろうと、壁に凭れ息を吐いた。
ぎゅ、と己の手を握りしめる。思わず出てしまったそこはじんじんと痛んでいた。
馬鹿だと思った。初めから期限付きの夫婦のはずだったのだ。それを承知であの男は自分を抱いたのではないのか。それなのに。
自分がどれ程の覚悟で離れたと思っているのだろう、どんな気持ちであの夜の、男の言葉を止めたと思っているのか。
もう二度と会わない。だからこそ男との思い出を胸に生きていこうと、そう誓ったのに。

―――ッ、」

じわりと何かが込み上げる。へなへなとその場に座り込み、膝を抱え顔を埋めた。
唇を噛みしめそれを堪える。

「黒たんのばか…」

そして感情のまま呟いた、その時。

「平手打ちの次は『馬鹿』呼ばわりかよ」

ったく我ながらひどい妻だなと。
突然、真上から声が降ってきた。反射的に顔を上げると、そこにいたのは、

「く、黒たん…!」
「よぉ」
「ど、して…!?」

どうしてここが分かったというのか。この裏路地は、慣れている者でなければ一人で出歩く事は危険だ。細く入り組んだ道が何本も存在し、一歩間違えると二度と元の道には戻れない。別名『帰らずの路』とも呼ばれているのだ。
『D・ローザリー』として、街中の道という道全てが頭に入っているファイに比べ、その点で男は格段に劣勢なはずなのに。

「あんまり俺を舐めるなよ、阿呆」
「ッ、」

すぐさま立ち上がり、ファイは再び逃げようとした。
しかしそんな事を二度も許す男ではなく、その細い腕を掴むと壁へと押しつける。そして痛みに顔を歪めるファイの横を、両腕で塞ぎ閉じ込めた。

「もう逃がさねぇ」

低い、男の声が間近で響く。それだけで膝が萎え、腰が砕けそうになった。ダメだ、これ以上はもう。
男の顔が近づいて来るのを、ファイは両腕を突っぱね抵抗する。そして顔を思い切り逸らし叫んだ。

「な、んで来た…の!?だって、オレ達はもう」
「『終わった』、なんて言うとここで犯すぞてめぇ」
「なっ…!」

何を言い出すのかこの男は。余りにも非常識な事を言う男に、ファイは返す言葉が見つからずぱくぱくと口を動かす。
それを満足そうに認め、男はファイの顎へと手をかけた。一度はファイはその手を払ったが、二度目は顔ごと掴まれ無理矢理男へ向けられた。ぐ、と逸らすことを禁じるかのように力強く。
そして男はそのままファイの唇へ触れようとする。しかしその瞬間、再び平手が飛んで来た。左から空気を切り裂いて来たそれを、今度は軽々と受け止める。

「お前…本気で犯すぞ」

少々苛つきながら男は言う。そして掴んだ手を引き、耳元で名を呼んだ。目の前にいる、誰よりも愛おしいその人の名を。
そして動きが止まったその一瞬を見逃さず、男は強く抱き締めた。

「ッ、や、」
「何が、嫌なんだ」
「はな、してっ…!」
「却下だな」
―――どう、して」
「言ったろ?俺達は夫婦だと」
「ッ、それは、ちが」
「違わねぇ」
「…う、そだ」
「嘘でもねぇ。つかいい加減観念しろ阿呆」
「あ、阿呆って、」
「自分の幸せは諦めて、それでも他人の幸せを祈る奴のどこが阿呆じゃ無いってんだ」

逃れようともがいていた金が止まる。
びくりとその肩を揺らし、瞳は大きく見開かれた。

「…お前、陛下に言ったそうだな。『個人の幸せを望まずに、良い政治は出来ない』と」

だったら、と男は腕を離す。解放してもファイは逃げなかった。
零れ落ちそうに開かれた目を男へと向け、そしてその瞳には。

「だったら、俺の幸せは――――――お前だ」

止まらなかった。耐えきれず溢れ出したものは次々と、白い頬の上を滑っては地面へと落ちていく。
男は手を伸ばし、その指で目尻を拭った。するとその手に手を添えられる。もちろん、ファイのその白い手で。
ふるり、と一つファイは首を振った。

「ダ、メだよ黒たん…。オレ、泥棒だよ…?」

それに吸血鬼だし、男だし…。
ここまで来てもまだそう言うファイに、それがどうしたと男は返す。

「それにお前自身…怪盗をする事に疑問を抱いてるんだろ?」

そう。『怪盗D・ローザリー』なんて格好の良い名を名乗っているけれど、出来る事といったらせいぜい彼らの数日間の生活を保障するだけで。それが過ぎれば再び待っているのは、飢えと寒さだ。
結局、自分一人の力では何も変えられないのだと。

「だったらお前の手で変えてみせろ。俺の、妻として」

ファイは男を見上げる。男もファイを見返し。そして。

「お前がもう怪盗なんかしなくても済むように、俺と共に国を変えてみせろ」

途端、世界が開けた気がした。意志の強い、暗闇の中で光るその瞳。それがファイを貫く。


―――国を、変える?このオレが…?


男は空いている方の手で懐を探り、何かを取り出した。ごつごつとした、ファイよりも一回り以上大きいその手には、勿論あの薔薇が。
ファイの視線は自然とそこへ注がれる。

「もう一度言う。…俺の幸せは、お前だ」

ほら、とその薔薇を差し出される。それを見、ファイはああと思った。
ああ、何てずるい。
こんな愛の告白なんて聞いた事がない。こんなのは脅迫だ。他人の幸せを願う自分に、男は己の幸せを願えという。すなわちそれは―――

「まだ信じられないか?なら…信じさせてやる」

男の唇が近づいてきても、今度はファイは拒まなかった。
薄く固い唇がファイのそれを塞ぎ、その時、確かにファイの中で何かがカチリと鳴った。そして…満たされる。
脳天がとろけそうだった。ふわふわと体が宙に浮くような感覚。頬に添えられている手も、腰に回されている腕も何もかも全てが。
愛おしくて。

「ん…」
―――まだ、言ってなかったな」
「何、を…?」

口付けの合間に囁かれる。
男の声は鼓膜を直接震わし、そして体中を巡っていく。一つ一つの細胞に染み渡るように、ファイの身体全てが男によって造られていくように。じんわりと。強く、優しく。
耳元で囁かれたのは勿論、愛の言葉。それにファイは笑顔を見せる。偽りでない、ほんとうの笑顔。幸せだと、心から思える笑顔で。
そう、男の幸せが自分なら、自分の幸せは、

「…オレの幸せも、黒たんだよ」

そして男の持つ薔薇へと一つキスをする。初めて男が贈ってくれた、自分の事を想ってくれたその象徴の花を。
男はファイの髪を取り、さらりと愛おしそうに撫でそして。

「やはりお前には蒼が似合うな」

そう言って、その金糸に花を咲かす。それはまるで誓いのようだった。あの偽りの結婚式を思い出す。
あの時はまさかこうなるなんて思ってもいなかった。ファイはサクラのために、男は半ば意地で同じ時を過ごしていた。
でも、それが変わったのはいつだろう。

「愛してる」
「ぅん―――…」

腕の中でファイは頷く。
本当に誰が想像出来たであろうか。こんな風に愛を囁く男の姿など。それが何だかおかしくて、ファイはくすりと笑った。

「どうした」
「んー、黒たんってこんなに情熱的だったかなぁって」
「…知るか。お前がそうさせたんだ」
「あ、ヒドイ。人のせいにするのー?」

くすくすくすと、言葉とは裏腹にファイは笑う。
男はそれに一瞬顔を顰めたが、次にファイの手を取りその甲に一つ口付けた。そして驚いているファイを楽しそうに見つめる。
ファイはそのまま男の唇へと指を這わせた。愛おしそうに撫で、そして告げる。

「オレも、あなたを―――
「ああ…」

蒼と紅の瞳が混じり合う。
そして吸い込まれるかのように、二人は身を寄せ合い、その唇を深く合わした。
その上にはまるで祝福するかのようにいつまでも、夜空に浮かぶ星達が、二人を見ていた。


† † †


Blue Rose――蒼い薔薇――

それは「不可能」を象徴する花であり。
人々が求めても、長年、手に入れられないものだった。
見る者全てを魅了するその花は、しかし決して誰のものにもならない。

けれどそんな花も一度だけ恋をした。相手は燃えるような炎の色をした紅い薔薇で。
己を隠してしまう暗闇の中でその蒼は、光輝く紅を見つけた。
何者にも恐れない、己の意志をどこまでも貫くその色に。
息をするかのように自然にそっと、惹かれていったと。



その蒼い薔薇を持つ者の名は―――















Fin.











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