その爆音は町中に轟いた。
一体何事かと人々が立ち上る煙の方へ走っていく中、それに逆らうかのように一人、逆方向へゆっくりと歩いている男がいた。
男は呟く。

「術では無理ですが、ああやって物理的に潰されてしまえばさすがの貴方も―――

そして男は人ごみに紛れていく。
その数日後。


この国の宰相とその夫人が崩御したと、そう噂が流れた。



† 薔薇が蒼いその理由は 第十三話 †



男はそう言うと静かに出ていった。
そして一人になった部屋で、少年は、

「叔父上と公妃は、本当に亡くなってしまったのだろうか…」

と、そう力無く呟く。
まだ分かりません、と男は言った。しかし、それは気休めにしかならない。
少年は城へと戻って来ていた。そこで聞かされた情報に初めは嘘だと思ったが。しかし何日経っても二人が一向に戻って来ない事実に、既に認めざるを得ない所まで来てしまっている。
二週間程前。国外追放された飛王がサクラ公妃を人質に取り、それを単身助けに行った黒鋼公は、しかし追いつめられた飛王の仕掛けた爆薬により城もろとも崩れ落ちたと。
まるで冒険恋愛小説の王道のような最後に、人々は涙を流す。夫婦における夫の鏡のような方だと黒鋼を惜しみ、そしてまた、その美しく聡明であった夫人のサクラを惜しんだ。町中が喪に服してしまったかのように沈んでいる。
しかし、まだ少年は希望を捨ててはいない。何故なら死体が発見されていないのだ。あの二人の事だ、きっとどこかに隠れているのだと、少年は己に強く言い聞かせていた。
ぼすりとソファへ身を沈める。見上げた天井には天使であろうか、美しく優雅に微笑んでいる女性の絵が描かれていた。それを見つめ、少年は先程の男との会話を思い出す。

『一つ、陛下にお聞きしたい事があるのですが』
『…?何でしょう、桜塚護伯爵』
『いえ、これは単なる私の興味本位です。以前黒鋼から…失礼、宰相殿から聞きかじった事なのですが―――

何だったのだろう、と今更ながらに思う。あんな事聞いてどうするのか。あんな伝説の事など聞いて、そんなのはもうとっくに―――
それを聞いた男は、何故かひどく残念そうな顔になり、

『そうですか…。ではやはり、最後の望みはあの人ですね』

そう言うと、静かに部屋を出ていった。少年には何が何だか分からない。しかし今はどうでもいい事なのは確かで。
靴を脱ぎ捨て、乱暴に寝転がる。この事態に何も出来ない己を悔やみギリ…、と歯を噛みしめた、その時。

「あら、夜着にも着替えずソファでお眠りになるなんて。お行儀が悪いですわね」

少年の真上で美しく優雅に微笑んでいる、まるであの姫のような天使が、そうしゃべった。


† † †


バルコニーから一望出来る、この国の頂点に立つ者だけが見る事が叶う景色を見下ろす。
しかし男は別にそんなものには興味は無い。地位も名誉も自分には関係の無いもので。ただ、己の目的を遂行するために必要だっただけだ。
城下町を見下ろす。しかしそこにはいつものような活気さは見えない。亡くなった(とされる)宰相とその夫人のために、人々は皆沈痛な表情をして歩いていた。
そんな男の背に声が掛かる。低く、よく響くあの声が。

「よぉ、久しぶりだな」

まるで舞踏会で会った時のような軽く自然なその声に、振り向かなくても誰だか分かった。
クスリと笑い、星史郎は振り返る。

「久しぶりですね、黒鋼」

二週間ぶりに会ったかつての親友同士は、口元に笑いを浮かべ、しかしその目には決して浮かべずに向かい合った。

「驚かねんだな」
「貴方が生きている事は分かっていましたよ。もちろん、あのお姫様もね」
「何故だ」
「僕は魔法使いですよ?」

少しおどけて星史郎は言う。その言葉に成程なと、変わらない口調で男は返した。
そんな男に、星史郎は大げさにため息を吐くと、

「全く…貴方といいあのお姫様といい、何でこうも運が良いのでしょうね。羨ましい限りです。少しは僕にも分けてくださいよ」

と、そう冗談とも本気とも取れない口調で言う。
そしてバルコニーに両肘を掛け、天を見上げ夜空に散りばめられた宝石を見やった。

「これじゃあ、いつまでたっても会えないじゃないですか…」

ポツリ、と小さく呟かれた言葉は、室内にいる男には届かなかった。
星史郎のそんな様子に男の眉が寄る。そして足を一歩踏み出し、バルコニーと室内を隔てるガラス扉に手をかけそこで止まった。柔らかい絨毯と固い石の、その境目に。
それは今の、この二人の距離を表しているかのようで。

「お前の目的は、確か人を探しているんだったな」
「あのお姫様から聞きましたか。あ、サクラ姫は元気ですか?」
「話逸らすんじゃねぇよ」
「はいはい。相変わらずせっかちだねぇ、黒鋼」

両手を上げ『降参』のポーズをする。この男はいつもこうだ。どんな場面だってその仮面を外す事はない、冗談か本気かの区別がつきにくい。それはあのファイにも言える事だが、星史郎はより質が悪い。
ふわりと一つ風が吹く。

「言え。お前が知ってる事全て」

その風は、男と星史郎の間を通り過ぎていった。冷たくもなくかといって暖かくもないそれは、ただ二人の肌を撫でていっただけで。
その風で乱れた前髪を直し、星史郎は、

―――君は、『本当の吸血鬼伝説』を知っていますか?」

そう呟いてカチャリと眼鏡を外し、一方は黒、もう一方は白の瞳で男を見据えた。
それに対し男は、


† † †


知りません、と少年は答えた。
その時の感情を一体何と表そうか。悲しみとも違う驚きとも違う。ただ、そうかと。少年の言葉がストン、と胸の中に落ちてきて。
こうなる事はどこかで予想していたらしい。それ程ショックを受けずにいる自分に苦笑する。

「この国の王位継承者にのみ語り継がれるというその伝説について、先代の王、おれの父からは何も聞いていません。…ですが一度」
「…一度?」
「寝台で。亡くなる直前に、父はおれにこう言いました」

「永遠の命なんてものはあり得ない。そんなものが存在するならばそれは御伽話だ。短く、たった一度きりの人生だから、それを存分に楽しみなさい、と―――

ああ、それは。
そんなのはただの人間の言う戯れ言だ。たった百年程しか生きない、臓の器官を動かす事が出来ない、そんな人間の。
目の前の少年を見つめる。その余りにも真っ直ぐすぎる瞳は、自分には到底持ち得ないもので。
愚かなのは自分なのか、この少年なのか。

「そうですか…。ではやはり、最後の望みはあの人ですね」

そう言って、静かにその部屋を後にした。


† † †


「知らねぇな」

男は一蹴する。
ガラス扉に体を預け、世間話をするかのようなその口ぶりに、星史郎は一旦俯きその手を額に当てる。その肩は微かに上下し、口元からは絞り出すかのような声が聞こえてきた。笑っているのだろうか。
実際、星史郎は笑ってもいた。

―――――――やはり、ここでも無駄足でしたか」

再び顔を上げた時、そこにはいつもの笑みが浮かんでいて。
にこり、と笑顔の仮面を張り付けた星史郎は、もう男に興味が無くなったかのように視線を外す。

「この国の宰相である貴方も知らないとなると、どうやら本当のようですね。『永遠に生き続ける吸血鬼の伝説』は」
「そんなもの現実にあるわけねぇだろうが」
「それが実際あり得るのですよ。まぁ、貴方には分からないでしょうけれど」

ざわり、と木々がざわめく。
近くの木からひらりと一枚葉が舞い、それを空中で掴み、指先で弄びながら星史郎は続けた。

「あの男に近づくために、わざわざ王女暗殺にまで手を貸したのですが…やはりそれも無駄でしたね。一時だけでも王座についたのだから、何かしら知っているかと思ったのですが」
「飛王に肩入れした理由はそれか」
「そして貴方もあの少年王も知らないとなると、もう…絶望的です」

ぴん、とその葉を弾く。

「となれば、もうこの世界に用は無い」

突然、星史郎の身体が光り出した。外からでなく、内部からの発光。
それと共に星史郎の周りに風が吹き上げる。竜巻の誕生のように、初めは小さな風が徐々に勢力を持ち、星史郎の衣装や髪を揺らし始めた。

「この次元は他と比べて時間の流れがかなり早い。十年…そのために、十年もの月日を費やしましたが、僕にとってさほどダメージは無い」

それが救いかなと。
男には訳が分からない独り言を言い、星史郎はとんっと飛び上がりバルコニーの手摺りに足を着ける。

「ああそうそう。あの男のお姫様の事ですが、彼を吸血鬼にしてしまったのは僕の過失です。申し訳ない事をしました」
「星史郎!」
「でもまあ、それもあの人風に言えば『必然』なのでしょうけど」
「ちっ!」

ヒュンッ。

男は腰に下げていた刀を抜き取る。間合いを一瞬で詰め、星史郎へとその剣先を放った。
それをいとも易々と避けた星史郎は、ふわりと宙に浮く。口元に笑みを浮かべ、幼子を宥めるかのような口調で話した。

「無理しない方が良い。その肩、怪我しているんだろう?」
「てめぇ、誰のせいだと、」
「君は僕には勝てないよ。といっても、僕はもういなくなるけれど」
「まだ話は終わってねぇ!」
「分からないかな。―――全ては終わったんですよ」

カッ!と一段と強い光が辺りを包んだ。反射的に手を翳し、それでも空中の人物を睨む。そこには、にこやかに笑ってこちらを見ている星史郎がいた。
十年前。初めて会った時のような、その笑顔。
それ以来唯一の気心が知れる仲として、友人として。今まで共に過ごしてきたというのに。

「星史郎!!」

男の叫びは届かない。
すると、星史郎の白い瞳が淡く光り出す。その中に変わった紋様が浮かび上がり、それを認め男は驚愕した。魔法などの知識は全く無い。けれど本能的にそれが何かしらの術だという事は分かった。
男は思わずバルコニーから身を乗り出していた。

「おっと、余り近づかない方がいい。この力に引きずられてしまうよ」

そう言って星史郎の胸の部分が一層輝く。
出てきた、という表現が正しいのだろう。驚いた事に、そこから現れたのは、

「なん…だ」
「…相変わらず、この力は凄いですねぇ。僕では到底操れない」

まるでこの世のものでないような、神秘的な輝きを持つそれ。
それは一枚の羽根だった。
白く光る羽根に手をかざし、星史郎は最後の言葉を告げる。ただ静かに、そこには何の感情も浮かべずに。

「さようなら、親友。お姫様とお幸せに」

一瞬視界が白く染まる。轟音と、それに伴いまるで竜巻のように吹き上がる風。木々もガラス扉もこれ以上無いくらいに揺れ動き、鼓膜を突き破る。男は思わず目をつむった。
そして再び開けた時には、そこには誰もいなかった。
そこにはただ、散らされた葉がひらひらと、踊るように舞っていた。


† † †


こうして『サクラ姫暗殺事件』は幕を閉じた。
何とも後味の悪い終わり方だなと、男は一人呟く。目を閉じて思い浮かべるのは、金の髪と蒼い瞳の持ち主だ。
事件の終わり。それは同時に。



黒鋼とファイ、二人の別れをも意味していた。