桜色の花びらひとつ。
音も無く手に落ちてきたそれをゆうるりと握りしめ、肌色の牢獄から解放する。
そして。


少年は、唄を歌った。



# ウタカタの桜 第1話 #



吹く風は暖かく、見上げる空も青々としている。
少年は一つ背伸びをし、堂々とした足取りで門をくぐった。

――――黒鋼」
「はい」

ざわり、と初々しい顔立ちの群からどよめきが起こる。
名前を呼ばれ立ち上がった少年は、そんな大勢の視線をもろともせず、軽く一礼して座った。ちらりちらりと周りの生徒は少年に目を配ったが、それでも少年は気にもせず、ただ前を見つめていた。
短く切り無造作に整えられている黒髪。年齢にしてはがっしりとした身体。眉間の皺が気になるが整った顔立ち。浅黒い肌に浮かぶ両眼はハッとするような紅。
都内の公立高校入学式。数ある新入生の中で、その少年は一際目立っていた。


# # #


少年は見上げていた。
その先にあるのは、薄桃色の花。高い枝から幾重にも重なり生えているそれは、古くから人々が愛してきた花だった。
つ、と腕を伸ばす。一つ風が吹きその一枚を散らせたが、それは少年の手に収まる事はなく地に落ちた。残念、と呟きそのまましゃがみ込む。その白く細長い指先で薄桃色を弄ぶと、コンクリートの地面と擦れて、じゃり、と鳴った。
目を閉じて、少年は静かに歌い始める。


# # #


初めは死んでいるのかと思った。
学園の裏門に通じる細い通路。普段、教師以外ほとんど使う事のないこの道に、今日入学したばかりの少年が通ったのは、偶然といえるだろうか。
砂を踏みしめ角を曲がった時、少年は発見したのだ。その通路の脇に、たった一本だけ生えている桜。その薄桃色の木の下で、一人の少女が蹲っているのを。
その余りの生気の無さに、初めは本当に死んでいるのかと思ったけれど、耳を澄ませば微かに聞こえてくる吐息に、ちゃんと生きている人間だということが分かった。
死んでいるのでなければ―――具合でも悪いのだろうか。
声をかけるかかけまいか、ほんの少しの間考え込んでいた少年は、じゃり、ともう一歩踏み出す。どのくらいの間そうしていたのだろう、この国では珍しい金色の髪には数枚の花弁が落ちていた。はらり、ともう一枚そこへ舞い落ちる。
別にそのまま通り過ぎても良かったのだ、目当ての門はもうすぐそこにあるのだから。しかしそこで思わず声を掛けてしまったのは、その金糸の間から覗く首が余りにも白く、細かったからだろうか。ぽきん、と簡単に折れそうに見えるそれが、余りにも頼りなさ気に思えたからだろうか。
はらり、とまた一枚そこへ舞い落ちた。

「……おい、」

反応は無い。

「おい、コラ」

なんだってこんな所にいるのか、薄桃色の花を頭に飾る程、どれくらいの間ここにいたのかと、せっかく声を掛けたのにも関わらず、何の反応も示さない人物に、少年は少々バツが悪そうに顔を歪めた。そして、深緑色のブレザーを纏っているその肩を揺らそうと手を伸ばす。と。
その場に似つかわしくないようなメロディが鳴った。
その折れそうな首からは想像しにくい、愉快で軽快なその曲に、びくりと音がするくらいに少女は大きく反応した。

「ぅわっ!」
「っと、」
「ぇ、…え?あれ?」

何がなんだか分からないというように目を白黒させている少女に、伸ばそうとした少年の手は虚しく空を舞った。勿論そんな事を知るはずもない少女は、がばりと立ち上がる。それと同時に、頭を飾っていた花びらが数枚はらりと落ちた。
わたわたと手櫛で髪を整え、きょろきょろと辺りを見回していた少女は、最後にぐるりと少年の方を向く。その時自分に向けられた双方の瞳に、少年は息を呑んだ。
今、頭上で広がっている空よりも濃い、隅々まで磨かれた宝石のような、いつか見た外国の海のようなそれは青―――いや、蒼く光っている。その瞳を縁取っているのは、勿論髪と同じく金色だ。人の美醜に全く興味の無い少年でさえ、目の前の人物の美しさは一瞬で理解出来た。
少年の知らない所で、心臓が一つ鳴る。

「あー…もしかしてオレ寝てたかなぁ」

やっばいやっばいと、少女は一人言のように呟く。その瞳はまだ夢と現の境を彷徨っているようだった。
少女は一つ欠伸をし、そしてようやく隣にいる人物に気が付いた。きょとり、と2つの蒼が開かれる。

「あ、れー……キミ、誰?」
「え、」

ことり、と首を傾げてそう問うてくる少女に、少年はどう答えて良いか分からず戸惑う。
すると少女の視線がある所で止まり、次にその指が伸ばされた。

「あー分かったぁ新入生だー」

そうでしょう?と蒼を細めて少女は言う。その口元に笑みを浮かべて。
その笑みに、意味も分からずドキドキと鳴る心臓を無理矢理押さえながら、どうして分かったと目だけで問うと、

「だってホラ、胸のトコ」
「あ、」

差された先には、赤地に白いラインの入ったリボンがあった。
新入生の証のそれを、式が終わると同時に外さなかった己を悔やみ、少年は恥ずかしそうに目元を赤く染める。

「ね、もしかしてもう式終わっちゃった?」
「え、あ、ああ…」
「あちゃー。じゃぁ結構寝てたんだねー」
「…は?寝てたっ、て」
「あははーうんなんか寝ちゃってたみたい」

あっけらかんと言う少女に、頭痛を覚えたのは別に少年のせいではないだろう。寝てたって、こんな所でか。しかもあんな格好で。
外見が日本人離れしている人間は、中身もそういうものなのだろうか。今まで金髪の人種と付き合った事のない少年は、この少女の行動が全く理解出来なかった。
そんな事を考えていると、先程のメロディが再び鳴り響いた。愉快で軽快なそれに、少女は慌てて携帯電話を取り出す。その一瞬、キラキラとした空色に翳りが浮かんだけれど、まだ出会って間もない少年はそれに気付くことは出来なかった。
電話を見終わった少女は、それを閉じながら言う。

「…もう行かなくちゃー。じゃあね」
「え、ちょっと……オイ!」
「ん?なぁにー?」

くるりと振り向いた少女に、また一つ心臓が鳴るのを感じながら、少年は口を開く。

「名前は、」

名前は何だと、そう問われて驚いたのだろう、少女の目が開かれる。そして次にはにっこりと笑みを投げかけた。
金色に光る髪。陶器のように白い肌。空よりも蒼い瞳。そしてさくら色に色づいた唇がまぁるく開けられて、

「桜の精、だよ」

少女は言う。

「え…」
「またね、黒鋼くん」

はらり、と再び髪を飾っていたそれを落とし、ひらひらと薄桃色が二人の間で揺れるのを遠くで知覚しながら、どうして自分の名前を知っているのか―――そんな単純な問いかけさえ浮かぶ暇もなく、『桜の精』と名乗った少女は去っていった。




入学して、1日目の事だった。