* リーマン×女子高生 ―こんな感じで始まった― *




人、人、人。ウザったい程だ。
男は一つ息を吐き、そして煙草に火をつける。百害あって一利無しのそれを思い切り吸い込み、静かに吐き出した。
暖かくもなく寒くもない、風すら吹いていない、そんな日はひどく苛つく。こうやって外回りの途中で煙草を一本、それだけが男にとって唯一の楽しみだった。
時計はもう夕方の4時を指している。会社を出てから既に3時間が経とうとしていて、そろそろ戻らないとあの女上司から小言を延々聞かされそうだと、重い腰を上げた。その時。
キラリと光ったそれに、目を奪われた、と表現するのが正しいのだろう。
人混みの中で、ふわりと揺れる金の髪。まずそれが目に入り、そして。

―――外人か?)

次の瞬間、擦れ違うサラリーマンの肩越しに現れたその容姿に驚いた。
まず目が青い。そして白い。何がって肌が。そして金髪。
こういう時に使う表現など全く思いつかない男は、とりあえず己の脳味噌の引き出しの一番手前にある言葉で表しておいた。すなわち―――『フランス人形』。
そんな外国製の人形のような少女は、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。大きめの紺のカーディガンに、そこから少しだけ覗くプリーツスカート。黒のハイソックスを履いているその姿は紛れもなく女子高生だった。
『女子高生』という身分を認め、男はすぐさま目を逸らした。余り見ていてはやっかいな事になると思ったのだ。無実の罪で職を失うのは御免だった。
なんて少々大げさな事を想像しつつ、すっかり忘れていた煙草を一つ吸った。ふぅ、と薄灰色の煙を空中へまき散らし、もういいかとまだ半分以上残っているそれを携帯灰皿へ押しつける。
そう、この時既に先程のフランス人形の事など頭から抜け落ちていた。そうだ、そんな事は日常の些細で些細な、積み重なる日々の中で埋もれてしまう数多い出来事のうちの一つにしかすぎない。
すぎない、ハズだったのに。

「ねぇ、」

唐突に声をかけられた。
振り向くと、そこにはかのフランス人形がいた。その白く細い首を傾け、口元にはにこやかに笑みを浮かべこちらを見ている。
つと、次にその人形が右手を伸ばしスーツの袖を掴んできた。それにドキリとした、なんて事は男は強制的に心の中で瞬殺する。
そして次ににょっ、という効果音でも聞こえてきそうな動きで、目の前に左手が差し出された。
5本のうちの親指と小指が曲げられ、そして残されたものが示す意味は、

「コレでどう?おにーさん」

その、フランス製の人形の麗しいさくら色をした唇から聞こえてきた言葉を、もちろん男はすぐには理解出来なかった。正常な反応だ。

―――――――――――――――――――――――――――は?」
「だってお兄さんオレのこと見てたじゃないー。てっきりオレ、」
「オイオイオイ待て待て待てなんでそうなる」

一人で勝手にしゃべりまくる少女を、男は慌てて止める。
いきなり声をかけてきて何を言い出すのか。全く意味が分からない。いや、分かるのだけれども理解なんてしたくない。

「え、違うのー?」
「いや、」

口早に言ってから、しまった、と思った。全く自分のこの性格にはほとほと呆れる。感情を偽る事が出来ない、この自分の。
途端に苦い顔をした男を見、少女はその笑みを更に深めた。にんまり、という音が聞こえてきそうなそれに、

「ふふ、ホラやっぱりー」
「……」

男は物凄く嫌な予感がして、その眉間の皺をかなり深く刻み込んだ。
そしてキラキラとした少女の視線をもろに感じ、途端に逃げ出したい衝動に駆られたが、しかしどうして、男は何故か真実を話していた。

「…………綺麗な、髪だと思ったんだよ」
「え?」
「その髪。他の染めてる奴なんかよりずっとよ」

もうここまでくれば本当の事を話してしまえと、男は半ば投げやりに告げる。
すると、少女が息を呑む気配がした。何だと思い視線を向けると。

「……ぁー…、なんで分ったの?コレが地毛だって」

と、自分の髪の先を引っ張りながら少女は言う。 男の答えが予想外だったのだろう、その様子はかなり戸惑っているように見えた。どこか居心地が悪そうに、小さく身じろいでいる。

「違うのか?」
「……違わない、ケドー」

そう口を尖らせる少女に、先程と逆の立場になったなと男は笑う。
そう、男には確信があった。初めて少女の髪を見た時、あれは地毛だと。何故かと聞かれれば答えに困るのだが、まぁ、敢えて言うならば『直感』、『本能』、『環境』―――そんなものだろうか。
と、そこで男は気付く。何にって、こんな街中で女子高生と会話をしている自分にだ。
男は慌てて煙草の箱を取り出した。初対面で、しかも自分とは住む世界が違うであろう女子高生と、楽しそうにとまではいかないが、何故会話などしているのか。
万が一、この光景を会社の誰かに見られたら後で何を言われるかと、それを想像してしまい男は背筋が寒くなった。
そしてこんな会話は早めに切ってしまうのが吉だと、男は早口で告げる。箱から一本煙草を取り出し、いかにも面倒臭そうに、

「とにかく、俺はお前とどうこうするつもりないから。ガキはさっさとウチ帰れ」

しっしと手を振るジェスチャーも付け加え、わざと突き放した声で言う。もう興味は失ったと、そう相手にも自分にも言い聞かせるかのように。
すると目の前の気配が消えた。それを感じ、ようやく諦めてくれたのかと男は安堵の息を漏らす。
そしてライターを取り出そうと、背広の内側を探り始めた。煙草は口に銜え、片手で背広を持ち上げ、もう片方の手を懐に入れて。
そう、この時の男は完全に隙だらけだった。
油断している男は、次の瞬間、あの金の髪がふわりと揺れたのに全く気が付かなかった。
たっ、とコンクリートの地面を蹴り上げる音がした。そしてその紺色の袖から覗く、白く細い5本の指が男の胸へと伸びていき、

―――っ!」

突然胸に衝撃を感じ、瞬時に自分の身に起こった事態を把握した男は顔を上げた。
そして少女のこれからするであろう行動を止めようと、慌てて立ち上がる。

「オイッ!何して、」

が、しかしそれよりも早く、今どきの女子高生のように(いや実際そうなのだが)目にも止まらぬ素早さで少女は親指を動かしていた。
男の携帯を奪い、自分の番号を打ち終わった少女は最後にダイアルボタンを押す。そして自分の携帯に着信が入ったのを確認すると、くるりと振り向きにこりと笑って、更に語尾にハートマークも付けて言う。

「へっへー。これでお兄さんの番号知っちゃった」
「お前な…」

そう力無く呟き、男は再び座り込んだ。
何故だか怒る気にもなれなくて、その余りにも予想外で非常識な少女の行動に、ただただ呆れるばかりだ。
そんな男を気にもせず少女は、

「また会おうよ、ね?」

にこりと笑って携帯を差し出す。
男はそれをまるで親の敵か何かのように睨んでいたが、次に大きく息を吐くと、諦めたかのように手を伸ばし受け取った。
それを認め、少女は嬉しそうに笑う。


そんな、始まりだった。