* ハッピー・トライアングル・Valentine's Day?*
「うわビックリした」
「何がだよ」
「それ」
「あ?」
そう言って、その白く細い顎先で下を見ろと促す。
「…。これがどうした」
「どうしたって…」
あのねぇ、とわざとらしくため息を吐き、両手に持っていたマグカップをテーブルの上に静かに置いた。
「これでもまだ自覚無いってどれだけ鈍いのさ、あなたは」
「は?」
「あーもーいいです今のは忘れてください。はいコレ」
と、差し出されたのは先程のマグカップ。もうもうと半透明の気体が立ち上るそこには、茶色い液体がゆらゆらと揺れていた。
「バレンタインのチョコです一応」
「……」
「…そんな目で見ないでくださいよ。毒なんて入ってませんよ」
ひょい、と両肩を上げて冗談ぽく言う。
「ファイから聞いてます。先生は甘い物が苦手だって。大丈夫、これはカカオ80%で作ったホット・チョコレートです。生クリームも砂糖控えめですよ」
「……」
「何か他に疑わしき点でも?」
「……いや」
「そうですか。こっちはファイ用にかなり甘くしたんだけど、ムダになっちゃったな」
ズ…、ともう一方のカップの中身を一口飲み、やっぱ甘いやと顔を顰める。そして立ち上がり、隣の和室から毛布を一枚持ってきた。
柔らかなソファの上で丸くなっている、この世でたった一人の兄へと視線を向け。
「…変なカオしてるなぁもう」
「こいつはいつもこんな顔だろ」
「全然違いますよ。あっちに居た頃はもっと…って、ダメ先生ファイが起きちゃう!」
小声でそう怒られ、立ち上がろうとした腰をしかたなく落とす。その際、自分の膝の上に埋められた金髪を降ろそうとしていた手はむなしく空を舞った。
気まずい雰囲気の中、やり場を失くしたそこにマグカップが添えられる。
「はい、先生はそのままコレ飲んでてください」
「は?おい待て、コイツが起きるまでこのまんまかよ」
「そうです。当たり前でしょう」
「何が当たり前だ。コイツが勝手に乗っかって来たんだぞ」
「だから鈍いって言ってるんです、あなたは」
いいですか絶対に動いちゃダメですよと念を押して、そっと毛布を掛ける。冷えないように肩までしっかりと包み込んだのを確認し、キッチンへ戻っていった。
と、その途中で。
「……ファイが、そうやって誰かの隣で寝るなんて珍しいんです。オレだって初めて見ましたから」
背を向けたまま、そう言った。そして次にこちらを振り返り、一言。
「だから、少しくらい意地悪しても許してくださいね」
「は?」
何を、と返す前にそそくさと部屋を出ていく。
取り残され、言われた言葉の意味が分らず反芻していたが、途中でその思考を投げ出し、何とは無しに手元のカップを口に寄せた。すると。
「――ぐっ、……何だ、コレ」
カカオ80%で作られたはずのそれは、脳天を突き破るかと思う程に甘かった。よくよく見ると手渡されたカップは、甘い物好きの兄のために作ったと言っていた物だった。
自分用のカップは、未だテーブルの上にちょこりと手付かずのまま置かれている。
「くそ…めちゃくちゃ甘ぇじゃねぇかよ。殺す気か」
空いている方の手でぐいと口元を拭う。甘い方を渡された事に気付かなかった自分も自分だか、絶対に確信犯であろう先程の言葉が脳裏に蘇った。
そしてその元凶となった、この状況にもお構い無しに呑気にぐーすかと自分の膝の上で眠っている化学教師へ視線を落とし、コノヤロウ、と毒吐いたのだった。
<08.0701>