まぁ、こうなってしまうのは当然といえば当然なのだけれど。
今まで無かったというのも幸運だと思うし、これから先にも無いとは言い切れない。
だから。
* 小さな一歩 *
だから、よろしくね?
と、両手を顔の前で合わせ、心底申し訳無さそうに言う魔術師に、男は思いっきり顔をしかめた。
それがもし満面の笑みであったならばすぐにでもその願いは却下し、そこら辺の溝にでも捨ててきたであろう。けれど。
「本当にごめんねー。こういうのってオレじゃダメだからさ」
そう珍しくしおらしい態度の魔術師を見て、何で俺が、と思ったが、今のこの状況を見ればそんな事は口に出して言える訳も無い。
しばらくして男は、しょうがねぇなとため息を付いて立ち上がった。
* * *
コンコン、と控え目に扉を叩く。
控え目に、等と相手を気遣っているのだと言わんばかりの行動に少し嫌気が差したが、今日は…まぁ特別だ、なんて己に言い聞かせた。
そして、部屋の中にいるであろう人物に声を掛ける。
「おい」
反応は無い。
「コラ、開けろ」
ガチャガチャと取っ手を上下に動かすが、やはりというか鍵が掛かっていた。
少し、ほんの少しだけ腹が立ち、少々声を荒げ名を呼ぶとようやく扉が開かれる。
「黒鋼さん…」
「おい、外行くぞ。付き合え」
そう脈絡無く伝えると、しばらく逡巡した少年は、首を縦に振るまでここにいるであろう男を認め、こっくりと頷いた。
* * *
ひんやりとした空気が肌を撫でていく。
庭先に出た二人は、玄関脇にあるベンチへと腰掛けた。そこは昼間少女と白い生物が昼寝をしていた場所である。
その事に気付いたのだろう、少年は一瞬座るのをためらったが、座れ、と男に言われ、無言のまま腰を降ろした。
そして、二人して黙り込む。
ちくしょう、と男は頭を掻いた。だいたい自分はこういうのには向いていないのだ。なのにあの魔術師ときたら―――と、今は少女の部屋にいるのだろう、その人物に心の中で舌打ちをする。
そして、あーそのなんだ、と言いかけた時だった。
「…分かっては、いるんです」
そう、少年が切り出した。
何を、等と聞くまでもない。そんなのは今更だ。
俯いたまま、拳を強く握りしめ少年は続ける。
「あれは事故で…いや、おれに配慮がもっとあれば違ったのでしょうが、」
「あれは事故だ。てめぇのせいじゃないだろう」
「でもっ!」
感情的に声を荒げ、少年は立ち上がる。
いつも凛としている眉は揺れ動き、琥珀色の瞳は今にも泣き出しそうだ。
「でも、姫は泣いていた…」
おれが泣かせた…、と小さく呟く少年に、よく犬に例えられるせいか、一瞬その頭に情けなく垂れ下がる耳を想像してしまった。それをごまかすように、男は一つ咳をする。
そして、先程魔術師に言われた言葉を脳内で反芻した。
「あー…その、そりゃ少しは傷ついただろうけど、」
「っ、やっぱり」
「人の話は最後まで聞け」
感情が先走る少年の腕を掴み、男は再び座らせる。
掴む力をわざと強め、少年の眉が痛みに歪むのを確かめると、
「いいか。姫が泣いたのは傷ついたから、だけじゃねぇぞ」
「え、」
「分からねぇか?」
分からないのだろうな、と思う。
普通の子どもよりも過酷な状況下にいる今、少年のそういった面での成長は後回しになっているような気がする。普通の少年少女のように、このむずがゆい感情に左右される生活など当分望めないだろう。
だからこそ、この今の、日常の些細な出来事がどれ程大切なのか。
そんな事を思っている自分に、男は気が付かなかったけれど。
「こんな事も分からねぇようじゃ、この先姫を守っていくなんて出来ねぇぞ」
ニヤリと笑って、そう少年の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
すると、驚きと困惑に揺れた少年の瞳が薄茶色の髪に隠れた。
「ぅ、わっ!何ですか黒鋼さん!」
「おめぇもまだまだ餓鬼って事だ」
そう乱暴に言い、立ち上がり真上に向かって話しかけた。
「おい、いつまでそこで聞き耳立ててやがんだ」
「あれー、気付いた?」
と、2階の窓が開きひょこりと覗いたのは金の髪だった。
全く悪びれた表情のないそれに、当たり前だろ馬鹿と吐き捨てる。そんな言葉にも一切表情を崩さない魔術師は窓枠に肘を付き、
「ねー小狼くん。上がっておいでよ」
「えっ…でも、」
「サクラちゃんがね、呼んでるよー」
「!」
そう告げると、一瞬で少年の顔が明るくなる。
その後ろにふさふさと揺れる尻尾を確認してしまい、男はそんな己の想像力に眉を顰めた。
* * *
そして少年が少女の部屋へ走って行くのを確認し、入れ替わるかのように外へと出てきた魔術師に、男はちろりと目を配る。
「…そっちはどうなったよ」
「うんなんとかー。大丈夫だよ、女の子は強いし」
男の子はこういうのダメだからねーと呟く魔術師は、明かりが漏れる少女の部屋を目を細めて見上げた。
そして男を振り返る。
「そうだ黒ぽん!オレが言った事ちゃんと小狼くんに伝えなかったでしょー」
「ああ?」
一瞬何の事かと思ったが、すぐにそれに思い当たり男は、ああと呟いた。
「まぁ、言わなくてもいいんじゃねぇか」
「そうだけどねー」
そういうものは自分で分かっていくものだと。
性格も育ってきた環境も全く違う二人が、この一緒に旅をしている少年と少女に関してだけは同じ感情を持っている。
それが何故か、等と知りたくもないけれど。でも。
「さ、て!二人の話が終わった頃にお茶でも持っていってあげようかなー」
お昼に作ったマフィンがまだ残ってたっけ、等と嬉しそうに軽やかに歩く魔術師に、俺は酒がいい、と男が言うと、しょうがないね、という笑顔と共に金の髪が振り向いた。